●小保方晴子のStap細胞騒動・物語( 12 )2023年●●研究と記録●● [目次]
●小保方晴子のStap細胞騒動・物語( 2 )2023年
●小保方晴子の研究経緯●●時系列記録●●
STAP細胞研究の経緯ー1
●●若山照彦の奇怪な言動●●
●仕組まれたES細胞混入ストーリ時系列
2014年
(2月 日)若山先生は2014年2月のネイチャー誌のインタービューに応じており、・・・・・・「私が自分で実験して見つけたんだ。実験結果は絶対に真実だ」という若山先生の証言が掲載されている。
(2月 日)この時のことは「彼(若山)と彼の研究室の学生は論文発表の前に、小保方氏からよく指導を受けたこともあり、独立して実験の再現に成功していた」「若山氏は、彼が独立して小保方氏の実験結果の再現に成功したことから、この技術が本当であることを確信している」となっている。
(3月25日)小保方に渡したマウスと若山先生が解析したSTAP幹細胞のマウスの系統が違うとの報道が出た。
((これは嘘情報の報道))
(6月11日)
まずはkahoという匿名でブログを書いていた理研統合生命医科学研究センターの研究員である遠藤高帆さんによる、STAP細胞がES細胞なのではないかと疑惑の提示。
若山先生がSTAP幹細胞を第三者機関によって解析した結果、若山研にはけっして存在しなかったマウスの細胞からできていたという記者会見。
((これも嘘情報の報道))
(6月16日)私の研究室に保存されているES細胞の系統が、STAP幹細胞として若山先生によって解析されたものと一致したという、CDBからの公表(NHKへのリーク報道は16日中)だった。
((この情報はSTAP幹細胞がES細胞によって作られ、それに小保方が関係していると言いたいのです。))
(6月16日)
若山先生は記者会見の中で記者さんからの「胎盤への寄与は誰が見つけたんですか」との質問に対し、「忘れたと回答されている。
若山先生が2014年6月に開いた会見で、「小保方さんが実験をしているところを見ていない」「責任著者から外してほしいと頼んだこともある」「責任を押し付けられそうで怖かった」という、ご自身の研究への関与が低いことを印象づける趣旨の発言をされたことを・・・・
(6月下旬)若山先生が(6月16日)の記者会見で発表した解析結果の解釈がやはり間違いであることが、理研の行った調査で確認された。
(7月21日)
若山先生からは「STAP幹細胞の解析結果を訂正する必要が出てきました」とのメールが著者たちに送られた。
ところがこの頃から、解析結果の訂正のニュースを打ち消すかのように、若山研にいた時に投稿した論文についての、本来出版社と著者間で秘匿されるはずの査読結果などがマスコミに流出するようになった。
(9月3日)
第二次調査委員会によって、STAP細胞から作製されたはずの「成功したキメラ」は既存のES細胞から作製されたものであったと報告された。
また、若山先生がSTAP細胞から樹立したというSTAP幹細胞も、以前に若山研で作製された既存のES細胞であったと報告された。
そして、これらの実験に使われていたES細胞は若山研で飼育されていたアクロシンGFPマウスという特殊なマウスから作製されたものであったことも調査結果として発表された。
(これらの調査結果は、今まで事実確認をしないで報道してきたマスコミにとってマイナス情報なので、ほとんど流されていない。報道しない自由という権利だ。そんな誤情報のままNHKはスペッシャル番組を流し、事件の流れを固定した。)
●2回目の調査委員会での聴取での「ESを混ぜている人を見たことがありますか?」という質問は、それ以来繰り返し耳の中に響いた。ES細胞が混ぜられていたのなら、若山研での一連の実験は一体なんだったのだろうか。光る胎盤は一体なんだったのだろう。
(( 若山照彦は調査の対象外とされている。なぜ。幹細胞株の実験は若山照彦自身が行い、解析実験を若山研の研究員が行っている。
STAP幹細胞が、以前に若山研で作製された既存のES細胞であるのなら、調査は若山照彦とその研究員が対象になるのが常識的な判断だ。
それを避けて、調査対象を小保方にする。非常な歪みを感じる。
調査委員会の使命は、責任追及を若山照彦に向けないことだった。
若山照彦の実験研究の実態が暴露したら、理研の存続問題となり、多くの利権が消えてしまう。
理研本部には文部科学省からの絶対命令が下されていた。))
●●●●
●小保方晴子の研究経緯
●●時系列記録●●
|
||||
2002/01 | ||||
-3 | ||||
-5 | 早稲田大学理工学部入学 | |||
-7 | ||||
-9 | ||||
-11 | ||||
2003/01 | ||||
2004/01 | ||||
2005/01 | ||||
小保方は早稲田大学理工学部応用科学科常田研究室の学士 | ||||
2006/01 | ||||
東京女子医大先端生命医科学研究所大和雅之の下で博士課程 | ||||
ラットの口腔粘膜上皮細胞シートの自家移植の実験系を完成.期間8ヶ月 | ||||
2007/01 | ||||
シカゴ開催のバイオマテリアル学会年次大会で発表、 | ||||
学術振興会特別研究員(DC1)に選ばれる。 | ||||
2008/01 | ||||
ハーバード大学医学大学院に留学。バカンティン研究室・客員。 | ||||
ヒツジの鼻腔粘膜上皮細胞シート作成に成功。実験期間3か月 | ||||
2009/01 | 細胞塊スフエアの中に初期化を示す遺伝子Oct4の発現を確認。 | |||
バカンティン研究室でスフェア細胞研究の実験を開始。 | ||||
培養系での三胚葉系のすべての細胞腫への分化能の確認。奇形種形成 | ||||
実験成果をPNAS科学雑誌に投稿。 | ||||
1回目のPNAS投稿論文はリバイス;追加試験が必要 | ||||
アメリカへ渡航。論文の再投稿。2回目のPNAS投稿論文もリバイス; | ||||
2010/01 | 3回目のPNAS投稿論文は採択通知の後、リジェクト | |||
再度、アメリカへ渡航。 | ||||
東北大学からミューズ細胞の論文が発表される。 | ||||
常田、大和、小島とともに理研CDBの若山にキメラマウスの作製を依頼。 | ||||
若山はキメラマウス製作の実験をする。しかし難航。 | ||||
培養の過程で細胞に変化が起こるのかもしれない。と考察する | ||||
2011/01 | 博士号取得の論文として、スフエア細胞に関する論文を提出。 | |||
早稲田大学理工学部 博士審査会による審査。 博士号を取得。最終の本論文を間違えて製本。 | ||||
若山研究所で客員研究員として研究。 | ||||
小さくした細胞の塊の注入でキメラマウスができた。と若山が報告。(実際は若山のES細胞による捏造だった) | ||||
更にスフェア細胞はES細胞樹立用の培養液で増殖をしたと言う。(実際はES細胞による捏造だった) | ||||
若山は、小保方に幹細胞の株化の論文の仕上げるように指示を出す。 | ||||
2012/01 | 多くの研究員が若山の論文作成のための実験を行う。(実際はES細胞による捏造だった) | |||
Oct4陽性細胞の塊作製とキメラマウスの作製の実験データを投稿。 | ||||
ネイチャー誌の投稿は不採択だった。 | ||||
若山は、F1幹細胞からキメラマウス作成し、胎児と胎盤を形成したと報告。(実際は若山のES細胞による捏造) | ||||
若山は、幹細胞株化の「特許申請の手続き」を開始。(実際はES細胞による捏造) | ||||
若山は、スフェア細胞塊と幹細胞株化の論文を2報同時投稿しようと提案。(幹細胞株化の研究はES細胞による捏造) |
||||
2013/01 | 笹井芳樹の指導を受け、2報同時投稿の論文の書き直しが始まった。(幹細胞株化の研究はES細胞による捏造) | |||
理研CDB研究室ユニットリーダーのPIに就任。 | ||||
論文は、バカンティ、若山に見てもらい、ネイチャー誌へのウエブ投稿(幹細胞株化の研究は若山のES細胞による捏造) | ||||
若山研究所でもOct4陽性細胞塊の作製、幹細胞株化の実験を継続。(幹細胞株化の研究はES細胞による捏造) | ||||
若山は、幹細胞株のレター論文の責任著者に笹井にも加わること提案。(幹細胞株化の研究は若山のES細胞による捏造) | ||||
ネイチャー誌から正式な採用通知を受け取る。一月後に出版だという。 | ||||
2014/01 | 小保方は、自分の研究室に初めて入室。感動する。 | |||
理研本部が組織として、ネイチャー誌論文発表記者会見を開催。(幹細胞株化の研究は若山のES細胞による捏造) | ||||
分子生物学会大隅典子理事長が声明。若山照彦がSTAP細胞の存在について確証が持てないと声明を出す。 | ||||
早稲田大學、女子医大が小保方の教育責任を否定。理研の調査委員会は「捏造と改ざん」と報告。理研理事長から論文撤回命令。 | ||||
NHKの取材により、小保方は怪我を負う。個人攻撃の内容である「NHKスペシャル」放送される。笹井芳樹が死亡。 | ||||
第二次調査委員会は不正と判定。小保方は辞表を提出 | ||||
2015/01 | ||||
●小保方晴子のSTAP細胞騒動・物語 - 目次
https://tamatabi2017.blog.ss-blog.jp/archive/c2306286134-1 https://tamatabi2017.blog.ss-blog.jp/archive/c2306286134-2 https://tamatabi2017.blog.ss-blog.jp/archive/c2306286134-3 https://tamatabi2017.blog.ss-blog.jp/archive/c2306286134-4 https://tamatabi2017.blog.ss-blog.jp/archive/c2306286134-5 https://tamatabi2017.blog.ss-blog.jp/archive/c2306286134-6 https://tamatabi2017.blog.ss-blog.jp/archive/c2306286134-7 https://tamatabi2017.blog.ss-blog.jp/archive/c2306286134-8 https://tamatabi2017.blog.ss-blog.jp/archive/c2306286134-9 https://tamatabi2017.blog.ss-blog.jp/archive/c2306286134-10 https://tamatabi2017.blog.ss-blog.jp/archive/c2306286134-11 https://tamatabi2017.blog.ss-blog.jp/archive/c2306286134-12 https://tamatabi2017.blog.ss-blog.jp/archive/c2306286134-13 https://tamatabi2017.blog.ss-blog.jp/archive/c2306286134-14 https://tamatabi2017.blog.ss-blog.jp/archive/c2306286134-15
|
||||