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●Stap細胞騒動・物語 ( 4 ) [小保方騒動の時系列記録]

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●小保方晴子のStap細胞騒動・物語(4)
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(理研は、若山の2013・03・の任期期間の終了前に、論文の投稿は完了は無理だと感じたようだ。)
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●2012・11・15 小保方は、アメリカ滞在中に理化学研究所の西川伸一から理研のPIのユニットリーダーの応募しないかと連絡を受ける。
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(理化学研究所は論文を完成させる必要があった。若山はいなくなる。そこで一研究員の小保方を確保する必要があった。
すでに、特許申請も進んでいるのだ。さらに2015年の国立研究開発法人への移行を目指し、大キャンペーンが必要だった。
小保方が日本に帰ってこないと思い焦ったのだろう。
そこで副センターの西川がアメリカ滞在中の小保方に電話を入れた。)
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(ただ、いち研究員が一気に理研の研究室の主宰者になる。
多くの博士研究員や同僚の妬みを買うことは見えていた。)
(小保方は、理研と若山の策略に気が付かなかったようだ。)
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●2012・12・10帰国
●2012・12・21理研のPIのユニットリーダーとしての面接を受ける。
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当日、明確な採用通知はなかったが、PIのユニットリーダーとしての採用が決まったようで笹井芳樹に会う。
(理研の策略ー1,小保方を理研のPIに採用)
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(面接では、小保方は研究計画書提出し、ストレス処理後の細胞の変化過程を追求、研究したいと訴えた。)
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(いち客員研究員の研究による発展的研究を、理科学研究所の成果にしてよいのか疑問だ。理研の窃盗に近い)
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●理研の指示で、笹井芳樹は小保方自身の主導的研究をするために、まず若山研究室の論文を完成させようと提案。
小保方も尊敬する若山のために論文を完成させる決心をする。
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(これは、理研と若山の策略が共通で利害が一致したものであることを意味する。小保方は策略に気がつかないまま従った。
当然、笹井は知っていた。それが後に笹井を苦しめる。
理科学研究所の指示による論文投稿が決定する。)
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●2012・12・26笹井の提案で、Oct4陽性細胞の名前をアニマルカルスからSTAP細胞に変更。
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●2013・01・ 西川副センター長に笹井芳樹の指導を受けることを告げ、2報同時投稿の論文の書き直しが始まった。
(理研の策略ー2,若山の実験論文を小保方と笹井で仕上げる。)
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(若山にできなかった論文の投稿掲載を理研本部が主導する形で進められる。それも責任著者である若山抜きで始められる。
当然、これはおかしい。若山が異常な行動に出た理由かもしれない。それともネイチャー誌に投稿され、予定の特許配分の金が入ればよかっただけかもしれない。)
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●理研CDBでの若山のお別れ会で、若山は小保方に感謝のメールを送る。
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●2013・03・ まだ小保方の研究室はないが、バカンティの了承を得て理研CDB研究室ユニットリーダーのPIに就任。
●小保方のアドバイザーとして、笹井芳樹と丹波仁史が付いた。
●小保方は、若山研究所の引っ越しの直前にStap 細胞の培養方法を若山に伝授する。
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●2013・03・11 笹井の指導による論文は、バカンティ、若山に見てもらい、ネイチャー誌へのウエブ投稿を終える。
●Stap細胞のアーティクルの責任著者はバカンティ。Stap 幹細胞株のレターの責任著者は若山。
小保方はネイチャー誌との対応係として責任著者に加わる。
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●2013・04・04ネイチャー誌からリバイスの返事。修正要求事項を満たせば、採用される。修正期間は6か月。
●責任著者たちは、論文の著者表記のシニアオーサー、ファーストオーサーについてもめる。笹井氏の仲介で解決。ただし、どのように決めたかは不明。
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●リバイスの修正要求事項は、若山の幹細胞株に関するものが多い。
小保方はStap細胞からStap幹細胞樹立を試みるができない。もっと検証すべきだという意見もあった。
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しかし、笹井、丹波は若山の実験データを信用することにした。
笹井、丹波の指導で論文の加筆、修正が進んだ。
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(このように理研は、若山担当の再現実験が不確定の状態で特許申請を進めた。理研の不正特許申請が始まっていた。)( 実際はES細胞による捏造 )( 特許法上の犯罪行為 )
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●2013・06 若山研究所でもOct4陽性細胞塊の作製、幹細胞株化の実験を継続していた。( 実際はES細胞による捏造 )
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(若山は、飾りのデータで作った幹細胞株化の樹立は、まだネイチャー誌の出版発表までにできると思っていたようだ。6か月の時間があった。)
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●この論文修正期間中に、若山から小保方に共同での予算申請に参加してほしいと連絡あり。
笹井、丹波に相談したが、その話には乗らない方が良いと言われる。
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(そんなことも、若山の感情を悪くしたかもしれない。後の若山の態度は、小保方、笹井、丹波の三人を敵とみなしている。)
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●若山は、自分の実験成果である幹細胞株のレター論文の責任著者に笹井にも加わること提案。
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(なぜ。なぜ。自分の成果を他人に分ける人などいないものだ。
これも若山の策略だ。)
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●ネイチャー誌からの指示で。若山の幹細胞株化のデータを小保方のアーティクル論文の最後に乗せる。
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これによりアーティクル論文の主題が小保方の現象の発見から若山の幹細胞株の確立に変わってしまった。
(この時点で、理研とネイチャー誌の間で話し合いがあったと思われる。)
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●2013 ・09・07 修正論文を再投稿。
●2013・10.03 ネイチャー誌から、さらなる修正要求がある。
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●2013・11.15 修正論文を再再投稿。
●2013・12.13 ネイチャー誌から、さらなる修正要求があったが、答えなくても良いことになった。
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●2013・12.16 再再修正論文の投稿。
(理研の策略ー3,共著者に14人の名前が並んだ。)
●2013・12.21 ネイチャー誌から正式な採用通知を受け取る。
一月後に出版だという。
(出版原稿の見直しはできない状況。)
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海外メディア向けの記者会見はネイチャー誌が主催するという。
(この論文は、それほどの影響力があると判断したようだ。
理研との打ち合わせもあっただろう。)
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●2報同時発表の論文には、それぞれのシニアオーサー最高貢献者がいるので、彼らが記者会見に応じるものだが、
2報同時であることを考え、小保方が記者会見での説明を担当することになった。
(小保方は、論文説明の著者でしかないのだ。 )
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●2014・01・   小保方は、自分の研究室に初めて入室。感動する。
(理研の策略ー4。記者会見で見せるための小保方の研究室ができた。)
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●2014・01・23 理研本部の理事会での野依良治理事、川合真紀理事に論文発表を説明。
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野依良治理事が神戸理研の事務方に補佐態勢は万全かと尋ねる。事務方は万全ですと答える。
(理研本部は、この画策が大騒ぎになることを予期していたらしい。)
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●2014・01・28 理研本部が組織として、ネイチャー誌論文発表記者会見を開催。
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(小保方は、2報同時発表の論文の説明を担当。開催主体は理化学研究所だ。 )
(理研の策略ー5,組織を挙げての大々的な発表を行う。)
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●小保方晴子のStap細胞騒動・物語(5)
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●●●騒動の流れ●●●
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