●356 - 小保方晴子のSTAP細胞騒動・物語 [小保方晴子・STAP細胞ー物語]
●356 - 小保方晴子のSTAP細胞騒動・物語
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2023年 Obokata Haruko
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STAP細胞研究の経緯ー1
●●彼女が歩んだ生命科学への道。●●
●帰りの新幹線の中では、先生たちと「とにかくよかった」「断られていたらもう終わりだったもんね」などと話し」、「楽しみだね」と皆、笑顔だった。
ー図
●tamatabi20230212
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●357 - 小保方晴子のSTAP細胞騒動・物語 [小保方晴子・STAP細胞ー物語]
●357 - 小保方晴子のSTAP細胞騒動・物語
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2023年 Obokata Haruko
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STAP細胞研究の経緯ー1
●●彼女が歩んだ生命科学への道。●●
●キメラ実験はすぐに取り組んでいただけることになり、
私は若山先生から指定された毛色が黒で全身の組織が緑に光るGFPマウスを購入し、
そのマウスの骨髄細胞から緑に光るスフェアを作製し、神戸へ運んだ。
若山先生との実験は初めてのことばかりだったが、いろいろなことを丁寧に説明し教えてくれた。
ー図
●tamatabi20230212
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●358 - 小保方晴子のSTAP細胞騒動・物語 [小保方晴子・STAP細胞ー物語]
●358 - 小保方晴子のSTAP細胞騒動・物語
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2023年 Obokata Haruko
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STAP細胞研究の経緯ー1
●●彼女が歩んだ生命科学への道。●●
●実験を重ねるうちにES細胞の未分化状態の維持に必須と考えられているLIFをという因子を培地に添加すると、若干ながらOct4が長く発現することが分かった。
また、細いガラス管に何度も通し大きな細胞を粉砕するなどのストレスを加えるとスフェアが形成され、逆にしないと形成されないことから、
これらのスフェアを形成する細胞は、もともと体内に存在するのではなく、
ストレス処理によってできてくるのではないかという着想にもたどり着いた。
ー図
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●359 - 小保方晴子のSTAP細胞騒動・物語 [小保方晴子・STAP細胞ー物語]
●359 - 小保方晴子のSTAP細胞騒動・物語
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2023年 Obokata Haruko
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STAP細胞研究の経緯ー1
●●彼女が歩んだ生命科学への道。●●
●・・・・Oct4陽性細胞は生体内にそのままの状態で存在しているのではなく、
培養している過程で細胞に変化が起こりOct4陽性細胞になったということを証明するために、新たな実験に取り組める。
方向性が見えたことで、私の研究への意欲は再び高まった。続きの研究ができる喜びに血が沸き立つ気分だった。
ー図
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●360 - 小保方晴子のSTAP細胞騒動・物語 [小保方晴子・STAP細胞ー物語]
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2023年 Obokata Haruko
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STAP細胞研究の経緯ー1
●●彼女が歩んだ生命科学への道。●●
2023/02/14
●12月の学会を終え、私は博士号取得後の進路を決定する時期を迎えていた。
大和先生は女子医大で博士研究員として採用するとおっしゃってくれた。
バカンティ先生からもハーバード大学で博士研究員として採用してくれるとのお話をいただいていた。
・・・尊敬する大和先生の下で、しかも最高の研究設備の整った女子医大で研究する方を選ぶのが当然の選択のように思えた。
しかし、アメリカで感じた思考の解放感は、日本に帰ってからも忘れることができない、鮮烈な体験として体に残っていた。
今の研究を行きつくところまで追求したい。機材がなくても、きっと自由な発想こそが自分の強みで、そこを伸ばせる環境を求めようと思い、アメリカへ行くことを決めた。
ー図
●tamatabi20230213
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●361 - 小保方晴子のSTAP細胞騒動・物語 [小保方晴子・STAP細胞ー物語]
●361 - 小保方晴子のSTAP細胞騒動・物語
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2023年 Obokata Haruko
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STAP細胞研究の経緯ー1
●●彼女が歩んだ生命科学への道。●●
●同時に博士審査会と博士論文を提出する時期にきた。
博士課程の間は、細胞シートの研究と留学先で行っていたスフェア細胞の研究を並行して行っていたので、
博士論文にまとめるにはどちらかを選び必要があった。
卒業後は留学先で行っていた研究を続けるつもりだったので、
常田先生と相談し、博士論文は留学先で行ったスフェア細胞の研究で書くことを決めた。
ー図
●tamatabi20230213
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●362 - 小保方晴子のSTAP細胞騒動・物語 [小保方晴子・STAP細胞ー物語]
●362 - 小保方晴子のSTAP細胞騒動・物語
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2023年 Obokata Haruko
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STAP細胞研究の経緯ー1
●●彼女が歩んだ生命科学への道。●●
2023/02/15
●博士審査会の当日、黒いスーツを着て、研究室へ向かった。・・・・・・
大和先生からは、「エビジェネティック的観点からアプローチが欠けている」と手厳しいコメントがあった。
大和先生との日々の研究ディスカッションの中では、このような指摘は一度もなかったが、
大学院に進学してからずっと私の指導教官だった先生のご意見を察することができず、
研究への重要な観点を自分の発表の中に盛り込めなかったことを情けなく思った。
ー図
●tamatabi20230215
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●363 - 小保方晴子のSTAP細胞騒動・物語 [小保方晴子・STAP細胞ー物語]
●363 - 小保方晴子のSTAP細胞騒動・物語
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2023年 Obokata Haruko
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STAP細胞研究の経緯ー1
●●彼女が歩んだ生命科学への道。●●
●主査の常田先生は、
「まあ、無難に終わってよかった。
これから小保方さんの研究がもっと多方面から進むように、できれば今後も協力していきたい」と言ってくれた。
審査会の後、常田先生、小島先生、大和先生と私の4人で、今後について話し合った
ー図
●tamatabi20230215
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●364 - 小保方晴子のSTAP細胞騒動・物語 [小保方晴子・STAP細胞ー物語]
●364 - 小保方晴子のSTAP細胞騒動・物語
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2023年 Obokata Haruko
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STAP細胞研究の経緯ー1
●●彼女が歩んだ生命科学への道。●●
2023/02/16
●それから数日後、博士審査会で先生方から指摘された箇所をすべて修正し、プリントアウトされた博士論文を製本所へもって行った。
・・・この時点ではまったく気がつかなかったが、最終でないバージョンのものをまちがえて製本所へ持っていってしまい、事務所へ提出された。・・・
●若山先生には、若山先生が所有しているOct4-GFPマウスという、細胞がOct4陽性だと緑に光るがOct4陰性だと光らない仕組みを持った遺伝子組み換えマウスを女子医大に搬入していただくことを予定していたが、
・・・・
申請などの関係で搬入できなかった経緯があり、若山研ではOct4-GFPマウスを使った実験をさせていただく予定だった。
ー図
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●365 - 小保方晴子のSTAP細胞騒動・物語 [小保方晴子・STAP細胞ー物語]
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2023年 Obokata Haruko
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STAP細胞研究の経緯ー1
●●彼女が歩んだ生命科学への道。●●
●神戸の理研CDBに着くと、早々、若山先生がOct4-GFPマウスの手配をしてくださった。
・・・・若山研ではメスとオスのマウスを交配させて繁殖させ、実験に必要なマウスの系統を維持していた。
Oct4-GFPマウスも若山研で繁殖させていて、若山先生がテクニカル・スタッフの人に「小保方さんの実験に使えるようにOct4-GFPマウスの数を増やすように」と指示を出してくれた。
そのおかげで十分な数のOct4-GFPマウスを実験に使えるようになり、Oct4-GFPマウスの組織から細胞を採取しスフェアを作製する実験を行っていた。
ー図
●tamatabi20230216
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